アーティスト・アーカイヴ
ARTIST ARCHIVES
大江千里
オオエセンリ
大江千里(おおえせんり) 1960.9.6東京生まれ。生後間もなく大阪に転居。早くからピアノを習い、中学生時代には作曲も始めていました。大学時代に結成していたバンドがレコード会社の目に留まりましたが、シンガーソングライターとしてデビューすることになり、83年にシングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム『WAKU WAKU』をリリース。その後、ポップな音楽センスと親しみやすいキャラクターで人気者となり「十人十色」「格好悪いふられ方」などのヒット曲を送り出すとともに、ソングライターとしての楽曲提供や俳優などとしても活躍しました。また、95年の阪神淡路大震災に際しては、積極的にチャリティ活動を行っています。2007年、これまでの音楽活動に区切りをつけ、ジャズピアニストを目指してニューヨークに渡り、2012 年、ジャズピアニストとして初のアルバム『Boys Mature Slow』をアメリカと日本でリリース。
大黒摩季
オオグロマキ
大黒摩季(おおぐろ まき) 12月31日、北海道生まれ。プロの歌手を目指して単身で状況し、オーディションを経て、コーラスを中心に活動を始めます。1992年、優れた歌唱力が評価されて「STOP MOTION」でデビュー。セカンドシングル「DA・KA・RA」が大ヒットし、この年のレコード大賞新人賞を受賞します。その後、「チョット」「夏が来る」など大ヒットを次々と送り出しました。初期はレコーディング活動が先行していましたが、97年から本格的なライヴ活動もスタートさせました。2000年は充電期間として活動を休止、2001年に活動を再開、それまでより幅広いスタンスで活動を展開していきましたが、現在は病気治療のため活動を休止しています。
大澤誉志幸
オオサワヨシユキ
大澤誉志幸(おおさわよしゆき) 1957.10.3東京都に生まれる。高校生時代からバンド活動をしていましたが、大学生の時に結成したバンド、クラウディ・スカイのヴォーカリストとして、81年にレコードデビュー。同年末にクラウディ・スカイが解散すると、単身ニューヨークに渡り約一年滞在しました。帰国後、作曲家として沢田研二の「おまえにチェックイン」「晴れのちBlue Boy」、中森 明菜の「1/2の神話」、山下久美子の「こっちをお向きよソフィア」、吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」らのヒット曲を手掛けるとともに、自らも83年にシングル「彼女には判らない」でアーティストデビュー。84年には「そして僕は途方に暮れる」をヒットさせました。<!-- 98年、作家、プロデュース活動に専念するためにアーティスト活動を休止しましたが、2002年に活動を再開。その時に大沢誉志幸から大澤誉志幸と表記を変えています。 -->
大滝詠一
オオタキエイイチ
1948年7月28日、岩手県出身。1969年、エイプリルフールを解散した細野晴臣(ほその はるおみ)と松本隆(まつもと たかし)、さらにギタリスト鈴木茂(すずき しげる)とヴァレンタイン・ブルーを結成。その後、ヴァレンタイン・ブルーははっぴいえんどと名を替えました。大滝詠一(当時の表記は大瀧)は、はっぴいえんどの活動中にもソロ名義でレコードを出していましたが、はっぴいえんどの解散後、自らのレーベル、ナイアガラを発足させます。ナイアガラでは大滝詠一の作品だけでなく、シュガー・ベイブをデビューさせるなど、プロデューサーとしても活動。70年代は、趣味性が強いアーティストとされていましたが、81年、『A LONG VACATION』の大ヒットで、そのクオリティの高さが広く知られることとなります。圧倒的な存在感を持つと同時に、きわめて寡作なアーティストとしても有名。
太田裕美
オオタヒロミ
太田裕美(おおた ひろみ) 1955.1.20.東京都出身。早くから音楽学校に通いながらスクールメイツのメンバーとして活動。73年にはNHKの「ステージ101」にヤング101のメンバーとして出演していました。74年、シングル「雨だれ」でレコードデビュー。アイドルでありながら、フォーク的な匂いを感じさせるピアノの弾き語りというスタイルで注目されました。75年には松本 隆が作詞を手がけた「木綿のハンカチーフ」のヒットで、歌謡曲とニューミュージックのかけ橋的な存在として認知されることになります。太田裕美自身も、シンガー・ソングライター色を深めるとともに、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションなど積極的なアプローチを展開していきました。現在も、母親としてのスタンスを軸にしながらマイペースで音楽活動を続けています。
奥田民生
オクダタミオ
奥田民生(おくだ たみお) 1965.5.12.広島県出身。1986年、UNICORNにヴォーカリストとして加入し、87年レコードデビュー。バンド在籍中にも、ソロシングル「休日/健康」をリリースしたり、JUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とユニットを組んだりしていましたが、93年にUNICORNが解散すると、94年のシングル「愛のために」をきっかけに本格的なソロ活動をスタート。さらに96年にはプロデューサーとして女性デュオグルーフPUFFYを手がけたり、97年には井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」を結成し、アルバム『ショッピング』をリリースするなど、多彩な活動を展開しています。
小椋佳
オグラケイ
小椋 佳(おぐら けい) 1944.1.18.東京都出身。東京大学在学中の66年、自主制作された天井桟敷のアルバム『初恋地獄篇』の音楽を担当。67年の東京大学卒業後は日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入社し、銀行員として働く一方、71年にデビューアルバム『青春~砂漠の少年』を発表します。以来、年一枚のペースでアルバムをリリース。正体不明の匿名シンガー・ソングライターながら『彷徨』(72年)が100万枚を越すビッグヒットを記録、その音楽は多くのリスナーに支持されました。76年に初のコンサートを行いますが、特別な時以外はほとんど人前に姿を見せませんでした。93年に銀行を退社して以降は、ステージを含めた音楽活動を精力的に展開しています。
小沢健二
オザワケンジ
小沢健二(おざわ けんじ) 1968.4.14.神奈川県出身。1989年に「フリッパーズ・ギター」のメンバーとしてデビュー。91年の解散後はソロ活動をスタートさせ 、『犬は吠えるがキャラバンは進む』『LIFE』『球体の奏でる音楽』などのアルバムを発表。ヒップポップやソウルの要素をミックスしたサウンドで人気を集めましたが、98年にシングル「春にして君を想う」をリリースしたあと渡米し、活動を休止します。その後、2002年の全編N.Yレコーディングとなる『Eclectic』、06年のヴォーカルレス作品『Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学』を発表。10年には13年ぶりの全国ツアーを実施し、寡作ながら現在も根強い支持を受けています。
小田和正
オダカズマサ
1947年9月20日、神奈川県出身。中学生、高校生時代は野球に熱中するとともに音楽に関心をも ち、高校時代には自らグループを結成してステージに立つようになります。そして、友人と結成したフォークソング・グループを母体にしたオフコースで70年にレコード・デビュー。小田和正は、その中心メンバーとして「さよなら」「Yes-No」など多くのヒット曲を送り出しました。オフコースが89年に解散してからもソロ・アーティストとして活動し、280万枚を売り上げた「ラブ・ストーリーは突然に」(91年)をはじめ、オフコース時代に負けない活躍を見せています。その一方、映画監督としても『いつか どこかで』(92年)、『緑の街』(97年)などの作品を手掛けたり、2001年から毎年スペシャル番組「クリスマスの約束」を制作するなど、多彩な活動も展開。現在も、トップ・アーティストとして精力的に活動を続けています。
小谷美沙子
オダニミサコ
小谷美紗子(おだにみさこ) 1976.11.4、京都府生まれ。早くから作詞・作曲を始め、高校生時代にオーストラリアに留学していた間も曲作りを続けていたといいます。96年、シングル「嘆きの雪」でデビューし、ライブ活動も展開していきます。ピアノの弾き語りを中心にしたその演奏は、高い音楽性で根強い支持を受けています。2003年には、小谷(vo)、田渕ひさ子(たぶちひさこ g)、池田貴史(いけだたかふみ kb)、二宮友和(にのみやともかず b)、玉田豊夢(たまだとむ d)でodani misako-ta-taを結成し、カバーミニアルバム『feather』をリリース。05年には、玉田豊夢、山口寛雄(やまぐちひろお b)と小谷美紗子Trioを結成し、レコーディングやライヴ活動を行っています。
鬼束ちひろ
オニツカチヒロ
鬼束ちひろ(おにつか ちひろ) 1980.10.30、宮崎県生まれ。高校時代にオーディションに合格し、卒業後に上京。2000年、シングル「シャイン」でデビュー。高い音楽性に裏打ちされた独特の世界観をもったシンガーソングライターとして注目され、セカンドシングル「月光」がヒット。サードシングル「眩暈」でレコード大賞作詞賞を受賞しています。その後、精力的に活動を展開し、02年には武道館コンサートも実現させました。この頃から、過密スケジュールなどによる体調不良により活動は断続的となりましたが、07年には2年7か月振りにシングル「everyhome」をリリース、08年にも4年8か月振りの単独コンサートを行っています。また、12年には初の洋楽カヴァーアルバム『FAMOUS MICROPHONE』をリリースしました。
オフコース
オフコース
横浜の高校生だった小田和正(おだ かずまさ)、鈴木康博(すずき やすひろ)らが結成したアマチュア・フォーク・グループが母体。彼らは別々の大学に進んでもグループ活動を続け、1969年の「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」の全国大会2位となったのをきっかけに、70年4月「群衆の中で」でデビュー。最初は3人編成でしたが、71年に地主道夫(じぬし みちお)が脱退。その後は小田、鈴木のデュオ・グループとして活動することになりますが、76年頃からドラム、ベースなどサポートメンバーを加えて多彩な音楽性を追求するようになります。79年、バックメンバーだった大間仁世(おおま ひとせ d)、清水 仁(しみず ひとし b)、松尾一彦(まつお かずひこ g)が正式加入し、オフコースは5人編成のバンドとなり、同じ年の「さよなら」をきっかけにブレイクします。しかし、82年、オリジナルメンバーの鈴木康博の脱退で活動を休止。その後、84年に残った4人で活動を再開し、89年に解散するまでトップグループとして活躍を続けました。
オメガトライブ
オメガトライブ
オメガトライブ(おめがとらいぶ) 杉山清貴(すぎやまきよたか)を中心としたアマチュアバンド、きゅうてぃぱんちょすが「ポピュラーソングコンテスト」で入賞したことをきっかけに、杉山清貴 & オメガトライブとして83年に「SUMMER SUSPICION」でデビュー。メンバーは杉山(vo)、高島信二(たかしましんじ g)、吉田健二(よしだけんじ g)、西原俊次(にしはらしんじ kb)、大島孝夫(おおしまたかお b)、廣石恵一(ひろいしけいいち d)。「ふたりの夏物語」などのヒットで脚光を浴びますが、85年に解散。86年、メンバーだった高島、西原とカルロス・トシキ(かるろすとしき vo)、黒川照家(くろかわみつや g)で1986オメガトライブとして「君は1000%」をリリースし、ヒットさせます。88年に黒川が脱退したのをきっかけに 、カルロス・トシキ & オメガトライブと改名。「アクアマリンのままでいて」などをヒットさせましたが、91年に解散。
オリジナル・ラブ
オリジナルラブ
オリジナル・ラブ 田島貴男(たじま たかお) 1966.4.24.東京都出身。1985年、田島を中心に前身となる「レッドカーテン」を結成。87年には「オリジナル・ラヴ」に改名し、91年にシングル「DEEP FRENCH KISS」でメジャーデビューしました。同年発表のファーストアルバム『LOVE!LOVE!&LOVE!』が日本レコード大賞最優秀アルバム・ニューアーティスト賞を受賞。ドラマ主題歌に起用されたシングル「接吻 kiss」や「プライマル」がヒットし、人気アーティストとしての座を獲得しました。現在は田島貴男のソロユニットとして継続しており、「ボラーレ!(Nel Blu,Dipinto Di Blu)」や「なごり雪」などをカヴァーしたCM音楽制作やアルバムプロデュースなど、その活動は多岐に渡っています。
かぐや姫
カグヤヒメ
かぐや姫(かぐやひめ) 1970年に南(みなみ)こうせつ、大島三平(おおしま さんぺい)、森 進一郎(もり しんいちろう)によって第一次かぐや姫を結成。シングル「酔いどれかぐや姫」などをリリースしますが、大きな成功を収めることはできず、71年には南こうせつ、伊勢正三(いせ しょうぞう)、山田パンダ(やまだ ぱんだ)による第二次かぐや姫が誕生しました。第二次かぐや姫は「神田川」「妹」などを大ヒットさせ、フォークシーンをリードする人気グループとなりますが、75年4月に解散。しかし、同年8月には静岡県のつま恋多目的広場で「吉田拓郎・かぐや 姫 つま恋コンサート」が開催されました。その後、78年、99年など何度か期間限定で再結成されています。
カシオペア
カシオペア
カシオペア(かしおぺあ) 1976年に、野呂一生(のろいっせい g)、櫻井哲夫(さくらいてつお b)、小池重彦(こいけしげひこ kb)、鈴木 徹(すずきとおる d)でインストゥルメンタル・グループとして結成されました。同年のバンドコンテスト「East West’76」に出場して野呂がベストギタリスト賞を受賞。翌年の「East West’77」では優秀グループ賞と野呂がベストギタリスト賞を受賞しました。その後、79年、小池、鈴木が向谷 実(むかいやみのる kb)、佐々木隆(ささきたかし d)に替わって、79年にアルバム『CASIOPEA』でデビュー。 その後、ドラムが神保 彰(じんぼあきら)となり、日本のフュージョンシーンをリードするグループとして国際的に活躍します。90年代以降メンバー交替をしながら活動が続いていきましたが、2006年に活動休止。しかし、2012年に、野呂、鳴瀬喜博(なるせよしひろ b)、大高清美(おおたかきよみ kb)、さらにサポートメンバーとして神保が加わる形で、カシオペア3rdとして活動を再開しています。
かしぶち哲郎
カシブチテツロウ
1950年11月9日生まれ、栃木県出身のミュージシャン。本名は橿渕哲郎。幼少よりクラシックやポップスに親しみ、高校からは楽曲制作やドラマーとしてバンド活動を開始。71年、鈴木慶一らと「はちみつぱい」を結成。75年に「ムーンライダーズ」を結成し、35年にわたって作品制作やライヴ活動を展開。80年代以降は作詞、作曲、アレンジ、プロデュースを中心に活躍。CM、映画の音楽も担当。特に『釣りバカ日誌』やアニメ『機動戦士ガンダム』など、多くのサントラを手掛けた。ソロとしても『リラのホテル』をはじめ、意欲的に作品を発表。CM出演も多く果たした 。2013年12月17日、食道癌のため死去。享年63歳。
かせきさいだぁ
カセキサイダー
かせきさいだぁ 1968.9.26、静岡県生まれ。90年、3人組ヒップホップグループ、TONEPAYSを結成して活動していましたが、93年に解散。94年にひとりでかせきさいだぁΞとして活動を始めました。95年、インディーズからアルバム『かせきさいだぁΞ』をリリースし、翌96年、シングル「さいだぁぶるーす」でメジャーデビュー。98年にアルバム『SKYNUTS』をリリース後は、ホフディランのワタナベイビーとのユニット、Baby & CyderΞ、ヒックスヴィルの小暮晋也とのユニット、TOTEM ROCKなどで活動。2009年にソロプ ロジェクト、かせきさいだぁΞ & HUGTONES(松本光由 g、龍山一平 kb、勝原大策 b、なかじまはじめ d、大山Ervin per)を結成して活動を再開しました。現在は、かせきさいだぁΞではなく、かせきさいだぁと表記しています。
加藤和彦
カトウカズヒコ
1947年3月21日、京都府出身。学生時代に北山修(きたやま おさむ)らとザ・フォーク・クルセダーズを結成し、「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットを記録しました。ザ・フォーク・クルセダーズ解散後、69年4月にソロ・アーティストとして「僕のおもちゃ箱」でシングル・デビュー、同年12月1日にファースト・アルバム『ぼくのそばにおいでよ』を発表。71年から約五年間にわたりサディスティック・ミカ・バンドで活動しましたが、76年からソロ活動を再スタートさせ、同年12月に『それから先のことは・・・』を発表。その後、『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』などの佳作を発表 し、日本のシーンをリードしていきました。2009年10月16日、死去。
加藤登紀子
カトウトキコ
1943年12月27日、旧満州ハルビン生まれ、京都育ちのシンガー・ソングライター/女優。愛称は“おときさん”。65年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、歌手デビュー。66年に「赤い風船」でレコード大賞新人賞、69年に「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。以降、数多くのヒット曲やアルバムを発表。国内はもちろん、カーネギーホールをはじめ世界各地でコンサートを実施し、92年には仏政府からシュバリエ勲章を受章。また、『居酒屋兆 治』やアニメ映画『紅の豚』など女優/声優や陶芸などの芸術活動、執筆活動ほかでも才能を発揮。地球環境問題へも積極的に取り組んでいる。
角松敏生
カドマツトシキ
角松敏生(かどまつ としき) 1960.8.12.東京都出身。内外のロック&ポップ・ミュージックの影響を受け、バンド活動をスタート。大学在学中に制作したデモテープがきっかけになり、81年に「YOKOHAMA Twilight Time」、アルバム『Sea Breeze』でデビュー。その後、シンガー・ソングライターとしての活動とともに、プロデューサーとしても杏里など多くの作品を手掛けるようになります。93~97年にかけて、自らのアーティスト活動を凍結し、プロデュース活動に専念していましたが、98年にアーティスト活動を再開。意欲的なサウンドアプローチとストイックな内面表現を軸にした意欲的作品を発表しています。
加山雄三
カヤマユウゾウ
加山雄三(かやま ゆうぞう) 1937.4.11.神奈川県出身。両親はともに俳優の上原 謙と小桜葉子。早くからクラシックピアノを学ぶなどして、音楽に親しんでいました。60年、俳優として映画デビュー。61年、主演映画『大学の若大将』にあわせて「夜の太陽」でレコードデビューしますが、65年のシングル「恋は紅いバラ」からは、「弾 厚作」名義で自ら作曲したオリジナル曲をリリース。「君といつまでも」「お嫁においで」「旅人よ」など多くのヒット曲を生み出していきました。70年代後半になると、日常のなかの海への想いを託した楽曲や、スタンダード曲のカバーなど、大人の感覚をもったポップミュージックにアプローチするなどの新しい境地を見せるようになります。さらに、谷村新司と「サライ」を共作するなど、世代を超えた音楽活動を続けています。
辛島美登里
カラシマミドリ
辛島美登里(からしまみどり) 鹿児島県出身。大学卒業後、ソングライターとして活動をはじめ、永井真理子など多くのシンガーに作品を提供していましたが、89年に自らもシングル「時間旅行」でシンガー・ソングライターとしてデビューしました。90年11月、「サイレント・イヴ」がテレビドラマ『クリスマス・イブ』の主題歌として大ヒット。その後もコンスタントに作品をリリースするとともに、ライヴ活動も積極的に展開。オーケストラと共演するクリスマスコンサートや、絵本とコラボレートしたライヴなど、既成の形にとらわれない表現のスタイルを切り開きながら、リスナーとのコミュニケーションを重ねています。
カルメン・マキ & OZ
カルメンマキアンドオズ
カルメン・マキ & OZ(おず) 1969年に「時には母のない子のように」でレコードデビューしたカルメン・マキは、フォーク色の強いシンガーとして活動していましたが、70年代に入るとジャニス・ジョプリン等の影響を受け、クリエイションと共演するなど、ロック・ヴォーカリストを目指します。そして、72年に春日博文(かすが ひろふみ g)、鳴瀬喜博(なるせ よしひろ b)、樋口晶之(ひぐち まさゆき d)とカルメン・マキ & OZを結成。75年にリリースしたアルバム『カルメン・マキ & OZ』が、ロック・アルバムとして高い評価を受けます。その後、メンバーチェンジを経て、77年に解散しました。