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アーティスト アーカイヴ

HI-STANDARD

HI-STANDARD

Hi-STANDARD(はい すたんだーど) 難波章浩(なんば あきひろ vo、b)、横山健(よこやま けん g、vo)、恒岡章(つねおか あきら d)の3人によるハードコア・パンクバンド。1991年に結成し、都内を中心に活動を始めました。動員とセールスを着実に伸ばし、99年発表のアルバム『MAKING THE ROAD』はインディーズとしては異例のミリオンセールスを記録。THE OFFSPRINGやGREEN DAYなど海外のビッグアーティストとも共演し、確かな人気を得ますが、2000年の「AIR JAM」出演を最後に活動を休止し、メンバーはそれぞれの活動へと進みます。しかし、11年4月にバンドのリスタートを宣言。同年9月の「AIR JAM 2011」に3万5000人を動員し、活動を再開しました。

ハイファイセット

ハイファイセット

ハイファイセット コーラスグループ「赤い鳥のメンバーだった大川 茂(おおかわ しげる)、山本潤子(やまもと じゅんこ)、山本俊彦(やまもと としひこ)の3人が1974年に結成したコーラスグループで、グループ名の名付け親は細野晴臣。75年に荒井由実作の「卒業写真」でデビューしています。初期のハイファイセットは「中央フリーウェイ」「冷たい雨」など荒井由実の曲を数多くレパートリーにしていました。77年に「フィーリング」の大ヒット以来、洗練された大人の感覚を持ったグループとして活動を続けていきますが、94年に解散。

THE HIGH-LOWS

THE HIGH-LOWS

THE HIGH-LOWS(ざ はいろうず)  「THE BLUE HAERTS」を解散した甲本ヒロト(こうもと ひろと vo)と真島昌利(ましま まさとし g)に、調先人(しらべ さきと b)、大島賢治(おおしま けんじ d)、白井幹夫(しらい みきお kb)が加わり結成、1995年にメジャーデビュー。イベントや学園祭などにも参加し、精力的なライヴ活動を中心にファンを増やしていきます。96年のSEX PISTOLS初来日公演ではオープニングアクトを務め、2005年に活動を休止。その後、ヒロトとマーシー(真島)は「ザ・クロマニヨンズ」を結成し、現在も活動中です。

HOUND DOG

HOUND DOG

HOUND DOG(はうんどどっぐ) 1976年、大友康平(おおとも こうへい)を中心に結成されたロックバンド。80年にシングル「嵐の金曜日」でデビューしましたが、この時のメンバーは、大友康平(vo)、八島順一(やしま じゅんいち g)、箕輪単志(みのわ ひとし kb)、海藤節生(かいとう せつお b)、高橋良秀(たかはし よしひで g)、藤村一清(ふじむら かずきよ d)。熱気あふれるライヴで人気を集め、「ff(フォルティシモ)」「Rocks」などのヒット曲を生み出しています。

元 ちとせ

元 ちとせ

元ちとせ(はじめちとせ) 1979.1.5、鹿児島県奄美大島生まれ。早くから三線を習い、島唄を歌うようになります。高校3年生の時に、「奄美民謡大賞」の「民謡大賞」を史上最年少で受賞。98年、歌手を目指して上京し、2001年にカヴァー曲を集めたミニアルバム『Hajime Chitose』をインディーズからリリースしています。02年、メジャーデビュー曲となった「ワダツミの木」が大ヒット、続いてリリースしたアルバム『ハイヌミカゼ』,もロングセラーとなり、アーティストとしての評価を獲得。その後、マイペースながらも、ジャンルに捉われないハイクオリティの作品を発表し、ライヴも展開しています。11年には中孝介とのユニットお中元でシングル「春の行人」をリリース。

はちみつぱい

はちみつぱい

鈴木慶一(すずき けいいち 1951年8月28日、東京都出身)、鈴木博文(すずき ひろふみ 実弟)、藤井盛雄(ふじい もりお)といったメンバーで1970年からあがた森魚らと活動し、71年頃から蜂蜜ぱいと名乗っていました。メンバーは流動的でしたが、72年頃には鈴木慶一(vo、g)、渡辺勝(わたなべ まさるvo、g)、本多信介(ほんだ しんすけ g)、武川雅寛(たけかわ まさひろ g、vi)、和田博美(わだ ひろみ b)、かしぶち哲郎(てつろう d)という編成になり、はっぴいえんどなどとともに、東京のロック・シーンを代表するグループとして活動していました。その後、渡辺に替わって駒沢裕城(こまざわ ひろき psg)、岡田徹(おかだ とおる kb)が参加して74年まで活動。その間、アルバム『センチメンタル通り』(73年)をリリースしています。グループ解散後、メンバーの多くはムーンライダーズに参加しました。

はっぴいえんど

はっぴいえんど

1969年秋、細野晴臣(ほその はるおみ b)、大瀧詠一(おおたき えいいち g)、鈴木茂(すずき しげる g)、松本隆(まつもと たかし d)によって東京で結成されました。70年8月、アルバム『はっぴいえんど』でデビュー。ウエストコースト的なサウンドに、日本語による独自の抒情を込めた詞を乗せたサウンドで異色のグループとして注目されます。70年の春から秋まで岡林信康のバック・バンドをつとめる他、メンバーはURC系フォークシンガーたちのレコーディングにも参加します。71年に名作『風街ろまん』を発表しますが、72年にアメリカ録音の『HAPPYEND』を発表後に解散。メンバーはそれぞれ活動を展開、その後の日本のシーンを牽引する存在となります。

浜崎貴司

浜崎貴司

浜崎貴司(はまざきたかし) 1965.6.11生まれ、栃木県出身。1988年にFLYING KIDSを結成してデビュー。98年に解散するまで中心メンバーとして活躍しました。98年12月、シングル「ココロの底」でソロデビュー。ソウルをベースにしながら独自の世界を切り開き続けているアーティストです。MCUとのプロジェクト、マツリルカをはじめ、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションも展開しています。2007年にFLYING KIDSとしての活動も再開しています。

浜田省吾

浜田省吾

浜田省吾(はまだ しょうご) 1952.12.29.広島県出身。広島でアマチュア活動を行っていましたが、一時、吉田拓郎がいた広島フォーク村にも在籍していました。大学進学のため上京しますが、73年に広島に戻り愛奴を結成してドラマ―になり、再び上京。75年、愛奴を脱退してソロ活動を開始、76年にシングル「路地裏の少年」、アルバム『生まれたところを遠く離れて』をリリース。しばらく試行錯誤を続けますが、79年にシングル「風を感じて」がヒット。ライヴを中心にした地道な活動が支持されて人気を拡大、83年には福岡の海の中道公園で2万5000人、88年には静岡の浜名湖畔・渚園で5万2000人を集めた野外ライヴを成功させるなど、ライヴアーティストとしての着実な実績をいまも刻み続けています。

早川義夫

早川義夫

早川義夫(はやかわよしお) 1947.12.15.東京都出身。高校の同級生と組んでいたバンドをもとにジャックスを結成してレコード・デビュー。69年にジャックスが解散すると、URCのディレクターとして活動する一方、ソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』をリリースしました。このアルバムに収められていた「サルビアの花」が、女子校生グループ「もとまろ」によってカバーされヒットしましたが、早川義夫は72年に音楽活動を停止し、川崎市に早川書店を開きました。20余年、書店主をしたのち、94年に音楽活動を再開し、アルバム『この世で一番キレイなもの』をリリース。その後、ライヴ活動とレコーディングを中心にした音楽活動を続けています。

原田真二

原田真二

原田真二(はらだ しんじ) 1958.12.5.広島県出身。12歳でギター、高校生に入ってピアノを始め、1976年にフォーライフ・オーディションに合格。77年、大学入学のため上京すると同時にプロ活動を始めました。この年「てぃーんず ぶるーす」でレコードデビュー。続けて「キャンディ」「シャドーボクサー」と3か月連続してリリースした曲をすべてヒットさせました。デビュー当初はアイドル的人気が先行していましたが、高い音楽性を持った作品をリリースし続け、アーティストとしての評価を確立させていきます。現在も幅広いフィールドで活躍しています。

原田知世

原田知世

原田知世(はらだ ともよ) 1967.11.28.長崎県出身。1982年に初主演したテレビドラマ『セーラー服と機関銃』の主題歌「悲しいくらいほんとの話」で歌手デビューしました。角川映画のヒロイン女優として活躍する一方で、90年代に入ると鈴木慶一をプロデューサーに迎えた数々の作品を発表。シンガーとしての魅力を発揮し、新たなファンを増やしました。近年は、歌と朗読の会「on-doc.」を開催。シンガー、女優としてのキャリアを生かした独自の活動を続けています。

原由子

原由子

原 由子(はら ゆうこ)  1956.12.11.神奈川県出身。青山学院大学在学中、サザンオールスターズにキーボード奏者として参加。サザンオールスターズでも「私はピアノ」などでリードヴォーカルを担当していますが、81年にソロシングル「I Love Youはひとりごと」とアルバム『はらゆうこが語るひととき』をリリース。その後も寡作ですが、ソロアーティストとしてクオリティの高い作品をリリースしています

ハルメンズ

ハルメンズ

ハルメンズ(はるめんず) 1979年、佐伯健三(さえきけんぞう vo)、比賀江隆男(ひがえたかお g)らのバンド、少年ホームランズの自主制作レコード「俺はペーペー」を、インディーズバンド、81/2のメンバーだった上野耕路(うえのこうじ kb)、泉水敏郎(せんすいとしろう d)が手伝ったことから、一緒にデモテープを作るようになります。このデモテープがきっかけで、佐伯、比賀江、上野、泉水、石原智広(いしはらともひろ b)のメンバーでデビューが決まり、グループ名をハルメンズと名付けました。80年、ムーンライダーズの鈴木慶一のディレクションでアルバム『ハルメンズの近代体操』を発表、高い評価を受けましたが、上野、泉水が脱退したため、その後はアルバム『ハルメンズの20世紀』をリリースして解散。佐伯はその後パール兄弟を結成しています。

BUCK-TICK

BUCK-TICK

BUCK-TICK(ばくちく) 1984年に結成。インディーズでの活動期に注目を集め、87年にライヴビデオ「バクチク現象 at LIVE INN」でメジャーデビューしました。88年発表のシングル「JUST ONE MORE KISS」がCM曲に起用されヒット、続く3作目のアルバム『TABOO』が初のチャート1位を獲得し、トップアーティストの仲間入りを果たします。さまざまなアーティストとのコラボレーションや夏フェス出演などを経て、2007年には大型野外ライヴイベント「BUCK-TICK FEST 2007 “ON PARADE”」を主催し、約13000人を動員。独自のスタンスで活動を続けながら、2012年に不動のメンバーでデビュー25周年を迎えました。

爆風スランプ

爆風スランプ

爆風(ばくふう)スランプ 1981年のアマチュアコンテスト「EAST WEST」の参加がきっかけで結成されたバンド。メンバーはサンプラザ中野(さんぷらざ なかの vo)、パッパラー河合(ぱっぱらー かわい g)、江川ホージン(えがわ ほーじん b)、ファンキー末吉(ふぁんきー すえよし d)。84年にシングル「週刊東京『少女A』」とアルバム『よい』でメジャーデビュー。当初は過激なパフォーマンスが話題となりましたが、次第に実力が評価され88年に「Runner」の大ヒットを出しています。これと前後して、ベーシストが江川からバーベQ佐和田(ばーべきゅう さわだ)へと交替しますが、その後も「リゾ・ラバ」「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い」などのヒット曲を生み出しています。99年に活動を休止しましたが、何度かグループとして再始動をしています。

BUZZ

BUZZ

BUZZ(ばず) 東京のアマチュアシーンで活動していた東郷昌和(とうごう まさかず)と小出博志(こいで ひろし)が結成したフォークデュオグループ。1972年に「ケンとメリー~愛と風のように~」でデビュー。この曲はテレビのCMソングとしてオンエアされてCMタイアップの走りとなりました。その後も「あなたを愛して」などのヒットを出しています。<!-- が、80年に解散。 -->

バンバン

バンバン

バンバン 関西のフォークシーンで活動していたばんばひろふみ、今井(いまい)ひろし、高山弘(たかやまひろし)が1971年に結成したフォークグループ。この年「何もしないで」でデビューしますが、メンバーの変動があり、ばんばと今井のデュオに。75年、荒井由実が作詞・作曲をした「『いちご白書』をもう一度」がヒットして人気グループとなりますが、77年に解散。その後、何回かの再結成を繰り返しています。なお、バンバンを脱退した高山は高山厳(たかやまげん)としてソロ活動を行っています。

BUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKEN(ばんぷ おぶ ちきん) 1994年に幼なじみの4人で結成。地元・千葉や下北沢でライヴ活動を続けながら徐々に動員を増やし、2000年にシングル「ダイヤモンド」でメジャーデビュー。02年発表のファーストアルバム『jupiter』はチャート初登場1位となりました。その後もコンスタントに作品を生み出し、08年には22万人を動員する全国ツアーを成功させます。テレビドラマや映画の主題歌、CMの楽曲などに起用されることも多く、デビュー10年を過ぎた今も新たなファンを増やし続けています。

バービーボーイズ

バービーボーイズ

BARBEE BOYS(ばーびーぼーいず)  メンバーは、KONTA(こんた vo、s-sax)、杏子(きょうこ vo)、いまみちともたか(g)、ENRIQUE(えんりけ b)、小沼俊昭(こぬまとしあき d)。83年にCBSソニーオーディショングランプリを獲得し、84年にシングル「暗闇でDANCE」でデビューしました。ソリッドなサウンドと、KONTAと杏子のツインヴォーカルは日本のロックシーンでも異彩を放ち、「負けるもんか」「女ぎつね on the Road」「目を閉じておいでよ」などをヒットさせています。92年に解散しましたが2008年に活動を再開、ツアーも行われました。

PUFFY

PUFFY

PUFFY(ぱふぃー) 1995年に結成された大貫亜美(おおぬき あみ)と吉村由美(よしむら ゆみ)からなるヴォーカルユニット。96年に奥田民生プロデュースの「アジアの純真」でメジャーデビュー。ファーストシングルながらミリオンヒットとなりました。「これが私の生きる道」「渚にまつわるエトセトラ」「愛のしるし」など、立て続けにヒット曲を生み、99年にはゴールデンディスク大賞を受賞。2002年には北米ツアーを実施し、04年からは2人をモデルにしたアニメ「Hi Hi Puffy AmiYumi」が全米で放送され、国内外のファンを獲得。デビュー16年目を迎えた12年には奥田民生、スピッツ、真心ブラザーズなど豪華なアーティストによるカヴァーアルバム『PUFFY COVERS』がリリースされました。

PANTA

PANTA

PANTA(ぱんた) 1950.2.5.埼玉県出身。1969年にバンド「頭脳警察」を結成して活動。解散後の76年にソロアルバム『PANTAX’S WORLD』を発表。その後バンド「PANTA&HAL」を結成して79年に名作とされる『マラッカ』をリリース。81年にPANTA&HALが解散してからは、再開した頭脳警察とソロ活動を並行させつつ、他のシンガーへの楽曲提供やプロデュースなどを含めて、トータルな世界観を持った作品群を発表し続けています。

PERSONZ

PERSONZ

PERSONZ(ぱーそんず) 1983年にJILL(じる vo)と本田毅(ほんだたけし g)を中心に「NOTHING PERSONAL」を結成。翌84年に渡邉貢(わたなべみつぐ b)と藤田勉(ふじたつとむ d)が加入し、「PERSONZ」としての活動がスタートします。87年のメジャーデビュー後は、ドラマ主題歌に起用された「DEAR FRIENDS」がヒットし、続くアルバム『DREAMERS ONLY』がチャート1位に輝きました。一時期、サウンドの要である本田が脱退しますが2002年に復帰。現在はオリジナルメンバーでの活動を続けています。

パール兄弟

パール兄弟

パール兄弟(ぱーるきょうだい) 1983年ごろ、ハルメンズのサエキけんぞう(v.)と、窪田晴男(くぼたはるお g.)、中原信男(なかはらのぶお b.)、濱田康史(はまだやすふみ d.)でスタートしたテクノポップユニット。メンバーは、松永俊弥(まつながとしや d)、バカボン鈴木(ばかぼんすずき b)に変わり、1986年、アルバム『未来はパール』でデビューしました。サエキのセンスが光るユニークな歌詞と軽いヴォーカルに、縦横無尽な演奏がからむ新鮮な音づくりで注目を集めました。またパール兄弟のバックダンサーズ「リーマンズ」のプロデュースや、映像作家手塚眞との映像づくりなど、つねに斬新な作品を発表しています。その後、矢代恒彦(やしろつねひこ key)らが加入、元のメンバーが抜けるなどメンバーが変わりますが、2006年からは、デビューメンバーのサエキ、窪田、バカボンを中心にパール兄弟としてライヴ活動を続けています。

ヒカシュー

ヒカシュー

巻上公一を中心に1978年に結成された日本のノンジャンル音楽ユニット。リズムボックスとメロトロンを使ったバックグラウンドに地下演劇的な内容と軽快で色彩感ある歌声を加味した音楽で活動開始。当初はニューウェイヴやテクノポップ・バンドとして知られるも、81年の3rdアルバム『うわさの人類』以降はテクノポップ的な要素から離れたインプロヴィゼーションによる楽曲へと転換。その後、メンバーチェンジを重ねながら、独自の活動を継続。2013年に結成35周年を迎えて以降も、ゆるめるモ!やチャラン・ポ・ランタンらとの共演など幅広い展開を精力的に行なう。2015年4月、『生きてこい沈黙』をリリース。

ヒックスヴィル

ヒックスヴィル

ヒックスヴィル(ひっくすぶぃる) 1994年、ロッテンハッツの解散によって、メンバーだった真城めぐみ(ましろめぐみ vo)、中森泰弘(なかもりやすひろ vo、g)、小暮晋也(こぐれしんや vo、g)が結成。ロッテンハッツの他のメンバーはGreat 3を結成しています。ヒックスヴィルはライヴを中心に活動していきますが、95年にミニアルバム『RIDER』でインディーズデビュー。翌96年にはシングル「バイバイブルース」でメジャーデビューし、この年リリースしたファーストアルバム『トゥデイ』は服部良一音楽祭で優秀アルバム賞を受賞しています。21世紀に入ってからはライヴに重点を置いて精力的に活動を行っています。

一青窈

一青窈

一青窈(ひととよう) 1976.9.20.台湾生まれ。 幼稚園卒園後日本で暮らし、大学時代に音楽活動を始めました。2002年にリリースしたデビューシングル「もらい泣き」のヒットで脚光を浴び、ファーストアルバム『月天心』も大ヒット。独特の透明感をもった歌と豊かな情感をもった詞の魅力で多くの人の心を捉えていき、04年には「ハナミズキ」を大ヒットさせています。05年には「かざぐるま」でレコード大賞作詞賞を受賞していますが、シンガー・ソングライターとしての活動とは別に、04年に映画『珈琲時光』に主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、女優としても活動しています。

氷室京介

氷室京介

氷室京介(ひむろきょうすけ) 1960.10.7.群馬県出身。82年、BOØWYのヴォーカリストとしてレコードデビュー。88年のBOØWY解散後、ファースト・ソロ・シングル「ANGEL」を発表。以来、コンスタントにソロアーティストとしての活動を続けています。東京ドームスケールのライヴを展開するビッグアーティストであると同時に、クリエイターとしてのクオリティをストイックに追求する氷室京介は、満足できる環境を確保するために、94年に活動拠点をロサンゼルスに移し、創作活動を行っています。

平松愛理

平松愛理

平松愛理(ひらまつ えり) 兵庫県生まれ。18歳の頃、古川昌義(ふるかわまさよし g)、森俊之(もりとしゆき kb)、山下政人(やましたまさと g)とERI & WONDERLASTを結成して活動。1987年、村田和人(むらたかずひと)、西司(にしつかさ)、山本圭右(やまもとけいすけ)とのユニット、Honey & B-Boysでアルバム『Back to Frisco』をリリースし、89年にシングル「青春のアルバム」、アルバム『TREASURE』でソロデビュー。92年に「部屋とyシャツと私」が大ヒットしてブレイク。その後もコンスタントに活躍していきますが、95年、阪神淡路大震災に際して、チャリティソング「美し都~がんばろやWe love KOBE~」をリリースしたほか、97年から毎年1月17日に復興支援ライヴ「KOBE MEETING」を続けています。

広瀬香美

広瀬香美

広瀬香美(ひろせこおみ) 福岡県出身。早くから音楽教育を受け、国立音楽大学作曲科を卒業。また、渡米してマイケル・ジャクソンのヴォイストレーナー、セス・リックスの薫陶を受けました。1992年、アルバム『Bingo!』でデビュー。同年、シングル「愛があれば大丈夫」のヒットで注目され、93年には「ロマンスの神様」をメガヒットさせるなど大活躍。冬場のヒットが多いことから、冬の女王とも呼ばれました。アーティスト活動と並行して、他のシンガーへの楽曲提供、ドラマや舞台の音楽制作、後進の育成などにも力を注いています。2000年代に入り、オーケストラとの共演やツイッターコンサートなど、さまざまな形でのライヴ表現にもチャレンジしています。

B'z

B'z

B’z(びぃず) 松本孝弘 [TAK MATSUMOTO] ギター及び作曲、プロデュースを担当。
稲葉浩志 [KOSHI INABA] ボーカル及び作詞を担当。

1988年9月21日、シングル「だからその手を離して」とアルバム「B’z」の同時発売でデビュー。
様々な音楽性を追求したサウンドでミュージックシーンを席巻していくと同時に、“LIVE-GYM”と称したツアーを敢行。その迫力のライブパフォーマンスとエンターテイメント満載のステージで多くの観客を魅了し、絶大な人気を得る。
デビュー以来、数々のヒット作を出し続け、シングル・アルバム総売り上げ枚数は8,000万枚以上にのぼる。名実ともに国内No.1の実績を誇る彼らは、2007年“Hollywood’s RockWalk”にアジア圏のミュージシャンとして初の殿堂入りを果たし、活躍の場を世界へと広げている。

BEGIN

BEGIN

BEGIN(びぎん) 石垣島出身の幼なじみである比嘉栄昇(ひが えいしょう vo)、島袋優(しまぶくろ まさる g)、上地等(うえち ひとし pf)からなるアコースティックバンド。1989年にテレビ番組「平成名物TV いかすバンド天国」に出演し、2代目グランドイカ天キングに輝きます。翌90年にシングル「恋しくて」でメジャーデビュー。「声のおまもりください」「涙そうそう」「島人ぬ宝」などヒット曲を生み、2005年にはデビュー15周年の記念公演を日本武道館と大阪城ホールで開催しました。ハートウォームな歌声と演奏で、幅広い層のファンから支持されています。

ビブラストーン

ビブラストーン

1987年結成の日本のヒップホップ・バンド。日本語によるヒップホップの可能性を追求してきた近田春夫が結成し、当初は“近田春夫&ビブラストーン”名義などで活動。近田の先鋭的な詞とスクラッチやサンプリングも用いた生楽器演奏が特色。89年12月、初音源となる『Vibra is Back』を経て、91年7月に『ENTROPY PRODUCTIONS』でメジャー・デビュー。小泉今日子、電気グルーヴらの楽曲にも参加。96年に活動停止。

ビリー・バンバン

ビリー・バンバン

東京都国立市出身の菅原孝、進による兄弟フォーク・ユニット。1969年のデビュー曲「白いブランコ」がいきなりヒットを記録。「ミドリーヌ」「れんげ草」「さよならをするために」とヒットが続き、NHK『紅白歌合戦』にも出場。代表的なフォーク・グループとしてコンサートを中心に活動。76年より一時活動を休止。兄・孝は司会など、弟・進はソロやCM音楽などを手掛けて活動。81年12月に「誓います」で復活。以降はマイペースながらも個人の活動と並行してユニット活動を展開。CMソングも多く、特に「いいちこ」のCMソングは幅広い世代で人気を博している。2014年10月、『愛という名の、自由と不自由』をリリース。

ザ・ビートニクス

ザ・ビートニクス

1981年に、YMOで活躍中の高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)とムーンライダーズの鈴木慶一(すずき :けいいち)が結成したユニット。この時にはアルバム『出口主義』をリリースした他は目立った活動はありませんでしたが、1987年にアルバム『EXITENTIALIST A GO GO-ビートで行こう-』、シングル「ちょっとツラインダ」をリリースするなど、不定期に活動するユニットとして現在まで活動を続けています。

ピチカート・ファイヴ

ピチカート・ファイヴ

1984年、小西康陽(こにし やすはる、b、kb)を中心に、高浪:慶太郎(たかなみ けいたろう。後に高浪敬太郎と表記、g、kb)、鴨宮 諒(かもみや りょう、kb)、佐々木麻美子(ささき まみこ、vo)によって結成されました。85年、細野晴臣プロデュースの「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。87年、鴨宮 諒、佐々木麻美子が脱退し、田島貴男(たじま たかおvo)が参加。1990年からは田島貴男に替わって野宮真貴(のみや まき、vo)が参加しています。90年代に入ってピチカート・ファイヴは大きく脚光を浴び、海外でも注目されましたが、94年に高浪敬太郎が脱退。その後、2001年に解散するまでは、小西康陽と野宮真貴のデュオグループとして活躍を続けました。

the pillows

the pillows

the pillows(ざ ぴろうず) 1989年結成、91年にシングル「雨にうたえば」でメジャーデビュー。メンバーの脱退や活動休止などを経験しつつも地道なライヴ活動を続けた結果、根強いファンを得ていきます。2004年に発表したトリビュートアルバムには、Mr.ChildrenやBUMP OF CHICKENなど彼らを支持する豪華アーティストが集結。また、05年にはアメリカ、06年にはアメリカとメキシコでツアーを行い、全会場をソールドアウトさせ、海外での人気も獲得しました。09年には結成20周年を記念した初の日本武道館公演を開催。現在もツアー動員記録を塗り替え続ける、日本のロックシーンに欠かせないアーティストです。

PINK

PINK

PINK(ぴんく) 1983年結成。「近田春夫&ビブラトーンズ」に在籍していた福岡ユタカ、矢壁アツノブ、ホッピー神山を中心に、「東京ブラボー」の岡野ハジメ、「爆風銃」のスティーヴ衛藤、「ショコラータ」の渋谷ヒデヒロを加えたラインナップでデビュー。結成時、すでにそれぞれがスタジオ・ミュージシャンとして第一線で活躍しており、圧倒的な演奏力とパフォーマンスを見せるライヴで国内外から人気を得ます。89年に活動を“凍結”したあとも、日本のミュージシャンに大きな影響を与え続けています。

PINK CLOUD

PINK CLOUD

PINK CLOUD(ぴんくくらうど) 1978年、「スモーキー・メディスン」を解散してソロ活動を行っていたChar(g)、元「ザ・ゴールデンカップス」のルイズルイス加部(るいずるいす かべ b)、元「イエロー」のジョニー吉長(じょにー よしなが d)がバンド「JOHNNY ,LOUIS & CHAR」を結成。79年にアルバム『FREE SPIRIT』をリリース。ブルースをベースにした緊張感のあるアンサンブルで人気となります。82年にグループ名を「PINK CLOUD」と改めましたが、グループとしてのセッションとメンバーのソロを織り交ぜつつ、94年頃まで活動を続けました。

ファニー・カンパニー

ファニー・カンパニー

ファニー・カンパニー 1971年、桑名正博(くわな まさひろ vo、g)、栄 孝志(さかえ たかし g)、古宇田 優(こうだ まさる kb)、横井 康和(よこい やすかず b)が結成したロックバンド。72年、シングル「スイートホーム大阪」でレコードデビュー。ヒットこそしませんでしたが、大阪弁による本格的ロックナンバーとして注目されました。その後、ベーシストが辻 宗一郎(つじ そういちろう)に替わり、サポートメンバーだった西 哲也(にし てつや d)が正式メンバーになるなどのメンバーチェンジはありましたが、そのパフォーマンスの格好良さは”東のキャロル、西のファニカン”と並び称されるほどでした。しかし、74年に2枚のアルバムを残してあっさり解散してしまいます。

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